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a flood of circleにはまった話

a flood of circle
フラッド、afocと略されるバンド。

いまは大好きなバンドだが
このバンドが嫌いだった。
いや、嫌いとまではいかなくとも苦手だった。


そんなバンドにはまった理由を
数年来の付き合いになる音楽クラスタから
聞かれることが多いので
頭の整理も兼ねてブログに落とそうと思う。


大好きなバンドの1つにTheBirthdayがいる。
フラッドを知ったのはいつだったか
記憶にはないが知った時よく似ている、と思った。
グレッチを持ったしゃがれ声のボーカル、
ガレージ、ブルースが根底にあるバンド。
二番煎じ。暑苦しい。
そんな印象しかなかった。


きっかけとなったのが2014年11月30日に
川崎CLUB CITTA'で行われた
新宿ロフト主催のイベント。
出演者の世代はThe Birthday怒髪天やSA、
活休から復活を果たしたradio Caroline
つまりフラッドが一番若手。
出ているから見るか、程度にライブを見ていて
MCで、[上の世代が死なないから俺達が上に行けない]といったニュアンスのことを
佐々木が言っていたのが衝撃だった。
その後のパフォーマンスに惹き込まれて
気付いたら前の方にいた。



その次がちょうど一ヶ月後の2014年12月30日の
渋谷CLUB QUATTROカウントダウンイベント
このイベントも特にフラッドが目的では無い。
友人とそれぞれ違う目当てバンドがおり、
その日にたまたまフラッドも出ていた程度。
それなのに完全に飲み込まれてしまった。


満足感に浸りながらビールを飲んでいると
いきなりドアが開き、さっきまでステージに
立っていた人物が出てきたのである。
フラッドのボーカル、佐々木亮介。
ちらっとこっちを見た後、さっと機材を
背負ってエレベーターに乗っていった。
思わず、友人と階段を駆け下りて
エレベーターより早く着いた記憶がある。
あの時ほど早く走った記憶はない。

建物の外にはドラム、渡邊一丘がファンに
囲まれていた。
当時の私にはドラムの人だ(名前の認識すらなかった)程度の感覚だった。
そして佐々木からサインと写真を撮ってもらった。
アイドルでもないのに顔が小さく、
肌がすべすべだった印象がやたら残っている。  
ミーハーながらここでまた一歩落ちていった。  


その後、初めてフラッドを見にライブにいった。 彼等の企画ライブで六本木EX THEATERに
行ったのだが、譲ってもらったチケットの
整理番号が良く最前で見ることができた。
最前で見ていたこともあってか、
知らない曲(世界は君のもの)でも
とても幸せな気持ちになった。
いまとなってはライブで聴きたい曲の1曲だ。


それから行けるライブには足を運ぶようになった。 佐々木亮介のソロにもいった。
個人的に、弾き語りはバンドのライブほど
演者側も力を入れないイメージがある。

言葉として正しいのかわからないが
「お遊び」な印象のものが多く、
なにがなんでも行きたい!というよりも
時間が合えば、程度だ。
けれども気づけば、なにがなんでも行きたい!と
思えるようになっていた。
佐々木の声はなにかが刺さるものがあると
薄々感じていたのはこの頃かもしれない。
 

そして奇しくも、その期間のギターはデュラン。
在籍期間、2014年9月~2015年3月。  
まさかガラガラの渋谷クアトロで、
SAのゲストとして呼ばれたライブが
デュランがいた最後だった。
正直、入れ替わりが激しいバンドを
他にも知っているから
あまり悲観的な気持ちにはならなかった。


すぐに藤井清也くんがサポートとして加わった。 数か月していなくなってしまったが…。

そしてキョウスケくんが正式サポートになった。   できるなら彼にずっと続けてほしいと思っていた。


そうしてしばらく経つとベストアルバムが
発売された。
そんな時にひとつの転機が訪れた。
ベストアルバムが発売になる頃、
会社で精神を病んで休職していた。
この話は別途書こうと考えているが、
心身ともにボロボロだった。
なにもしたくなかったし
誰とも関わりたくなかったし、
なにより情けなかった。
会社から1ヶ月しか休職できないことを告げられ、なんとか元の状態を取り戻そうと外にも出かけた。
しかしこの時期の記憶がなく、
唯一残っているのがタワレコ渋谷で
行われたイベント。
3日間のうち2日行ったのだが、
うち1日が佐々木亮介の弾き語りだった。 
アルバムにも入っている中島みゆき
ファイトが歌われた。
私はライブで潤んだ程度の経験はあるが、
あんなに涙が止まらなくなったことはない。
気付いたら前が霞み、終わってしばらくしても
涙が止まらなかった。
復職するか退職するかの判断を
迫られている時だった。
医療面からするととてもじゃないが、
戻れる状態ではなかったのだが、
自然に戻ろう、と思った。
あんなに泣いたことに自分が一番驚いた。

本人の歌じゃないのに、というツッコミは
勿論あるだろう。
本人の歌じゃないにも関わらず、あれだけ歌える佐々木の声に泣いたのかもしれない。



そしてTHE BLUEツアーが始まり、
初日の千葉が取れなかったことから
福島、岡山にも足を運んだ。
まさかこうやって遠征してまで見たいと思える
バンドになるとは思っていなかった。


福島と岡山の間にとても大切なバンドが
いきなり解散した。
解散ライブもすることなく事後報告。
とてもとても大切なバンドだった。
ツアーだって東名阪追いかけた。
呆気なさすぎて実感がわかなかった。
解散したバンドのメンバーのライブを
見に行った時に、そのバンドを否定する言葉が
出てきたことが悲しくて以来、
ライブに行けていない。




ツアーファイナル(沖縄でのextraライブを残して)の新木場を迎える直前に会社をクビになった。
突然の宣告だった。
あのまま残っていたところで、
いい方向へ進んでいた気は全くしなかったし
今となっては笑い話だが、
明日から来なくていいと言われ、突然の退職。

その1週間後にあった新木場でのライブ。
整理番号がよくなかったにも関わらず
最前に入れ、心の底から楽しんだ。
なにも気負うことなく楽しめたのは
いつぶりだったろうか。
その翌週の木曜日に下北沢で、
ライブを見るにも関わらず、
気付いたら沖縄行きの飛行機を抑えていた。
自分でもなにをしているのかと思いながら
沖縄に飛んだ。
1週間で4回フラッドのライブに
行った。
2泊3日の沖縄、無職になった人間が
2days泣いて笑って踊った。
沖縄で友人もできた。
行ったことに何一つ後悔していない。
好きだという気持ちが明確になっただけだ。


その後も勿論行けるライブはすべて
足を運んでいる。

佐々木だけでなくなべちゃんもHISAYOさんも
いまのサポートのテツくんも大好きだ。
しかし佐々木の真っ直ぐすぎる声は
文字通り私の人生を変えてくれた。



本当に最初はあの暑苦しいところが
鬱陶しささえ感じるほど苦手だった。
いまでは、それが好きで音源を買い
ライブに行っている。

今年もツアーファイナルの沖縄に行こうと
考えている。
そんなバンドにこの歳になって出会えたことが
嬉しい。