転職会社のお話

私は20代後半になるが、
大学を卒業してから
2回以上転職している。

転職している同年代は
少なくないが、
その中でも 圧倒的に
転職回数が多いことは
自覚している。


間に契約社員もあったが、
基本的には総合職で働いている。  




転職回数が多い故に
「どこの転職会社がいい?」と
聞かれることが多々ある。
しかし、私がA社良かったよ!と
言って 超絶ブラック企業
入っても責任を取れないので
毎回返答に困ってしまう。  

担当者との相性もあるし、
中には、自分の成績の為に
良いことだけを言って
転職させた後は連絡が
取れなくなる担当者も
少なからずいるからだ。

一概にどこが良いとは
言えないが、感想を書いていく。

ちなみに転職は
すべて首都圏の話なので
地方はまた違うと思う。





DODAエージェント 
★★★☆☆  
最初に転職した時に利用した。
しかし、友人がちょうど
エージェントの部署で働いており、
彼に面倒を見てもらっていたこと、
他にも数人ここで
働いてる友人がいるので、
私情が入りすぎて
きちんと書くことが難しい。

面倒を見てくれた友人は、
第二新卒の私の転職サポートを
必死にしてくれたし、
違う友人も会社を
クビになった状況を聞いて
一緒に悩んでくれた。

1つ言えることは
求人の数としてはやはり、
リクルートには 負けるが
決して少なくはない。
リクルートよりは
人間味のある会社といった印象。





リクルートエージェント
★★★☆☆  
利用期間は3か月、
それを超えると担当者が変わる仕組み。
噂だが、ここは登録の段階で
転職市場における価値がないと
断られてしまうそうだ。
 
登録するにあたり、
担当者と面談をするのだが、
面談だけでへとへとに疲れてしまった。  


面談がいわゆる
圧迫面接」なのである。  
聞き出すことで転職希望者の本質を
見極めようとしているのだろうが、  
かなり突っ込まれた。  
Rで働くにはこういう人間
(ある意味で超人的)じゃないと
やっていけないのだろうなとも
思った。


しかし、1番熱心に求人情報を
送ってくれた会社である。  
ただ、送ってくる求人が
どれも激務に
見えるものばかりだった。
きっと担当者から見ると
残業の少ない求人に
見えたのだろう。
担当者も土日出勤、深夜残業が
当たり前のようだったので
担当者のことが心配になってしまった。
 




マイナビエージェント  
★☆☆☆☆  
使えない。  
この一言に尽きる。  


新卒の時にマイナビ
悪い印象を持っていたわけは
なかったのだが  
一気に変わってしまった。  

ここもRエージェントと同様に、
市場価値がないとみなされると
断られてしまうという噂がある。  

無事面談も出来たし、
担当者もそこそこの肩書が
ついた人だったので安心していた。

その業務内容でこの年収は低すぎる!
もっと割のいい仕事はたくさんある、
うちに来てもいいからとまで
言った担当者なのだが、、、


待てども暮らせども
求人情報を1つも
送ってこない。  
連絡さえも来ない。  

どうやらこの会社、
人材会社の人手不足は
知れ渡っていることだが、
その中でもひどいらしい。  

担当者に気に入られないと
案件を紹介してもらえないという
口コミも見つかった。  


私は気に入ってもらえなかったようだ。  
退会フォームから退会を
依頼するときに、退会理由に
担当者名と1件も
紹介してもらえなかったと
丁寧に記載しておいた。  


唯一感謝しているのが、
営業を続けるか
事務に転換するかで
迷っていた私に担当者は、
ここで決めた方向に
この後ずっと進むと思ってください、
と言ったこと。
これで少し迷いがなくなった。      





リクナビNEXT  
★★☆☆☆  
求人情報が載っているので
自分で検索をかけて見つける。  
エージェントは一切つかないので、
全て自分の目で見極め、
応募したいという人にはお勧め。


しかし、私のように「働きたくない」が
根底にある人には向かない。  
膨大な量の求人情報が出てくるので、
見るだけでも面白いと思う。





アデコ
★☆☆☆☆  
ここを使っての転職経験がある。  
派遣も転職も一括でやっている会社。  
短期間で仕事を辞めていたので、
さすがに正社員総合職は 無理だろう、
これで次も失敗したら、、という
思いもあり、  
紹介予定派遣を利用した。  

しかし、紹介予定で契約社員に、
その後正社員登与有と聞いていたが
そんなものはなかった。
聞いていた仕事内容、
勤務地までも異なり、
完全に法律違反だった。  


アデコの担当者に問い詰めたのだが、  
こっちの言い分のような仕事紹介は
していないとの一点張り。
口頭だけではなく、
しっかり書類があるにも
関わらず、自分は間違っていないと
言える図太さがなければ
アデコでは働けないのだろう。
 
他にも何人か紹介予定派遣が
いたのだが、聞いていた話と違うと
やめた人間も少なくない。
私の中でここの印象は最悪である。    





リクルートスタッフィング  
★☆☆☆☆  
紹介予定派遣を探して
登録したのだが、
派遣の案内しか来なかった。  
スパムのようにメールが来るので
1週間程度でやめてしまった。  
派遣を探している人には
いいかもしれない。





テンプスタッフ   
★★★☆☆  
紹介予定派遣で
転職をした時に利用した。  

登録をしに行き、その場で
紹介できる案件をいくつか見せてもらい、  
気になったものがあれば、
そこで別のフロアにいる
コーディネーターと電話をして  
詳細を聞く仕組みだった。  

そこで紹介された1件で
すぐ仕事が決まったので、
後のことは不明だが
おそらく案件紹介は続くと思われる。  

ただ、ここの営業は一生懸命
やってくれるのだが、
多忙すぎて連絡が取れない。  


紹介予定派遣から正社員に
切り替わる時の各種書類を持ってこず、
私は書類上の手続きをしていないまま
正社員になった。  

割とのんびりした会社なので
許されたが、書類管理に厳しい会社だと
大問題になっただろう。


また、就業先に面接に行く際
基本的には営業が同行するのだが、
なぜかアシスタントの
コーディネーターがやってきた。  
地図が読めず、土地勘の合った私が
案内をしたという残念な話。。。。



書いてみて自分でも驚いたが、
これだけの転職媒体を使用していた。

ただ、共通して言えるのは、
担当者のサポートについている人間
(コーディネーター、アシスタント等、
会社によって名称は異なる)
は 当てにしない方がいい。
そもそも彼/彼女たちが、
契約社員派遣社員なので
話してもあまり問題解決にはならない。               

  
社会人としてどうかと思うが、
電話越しでわかるほど投げやりな態度を
取られたことは多々ある。
就業先とやり取りするのが営業、
転職希望者とやり取りするのがコーディネーター等
仕事をわけている会社もあるが、
無視して営業担当者に話すことをお勧めする。

名誉のために書いておくと、
DODAのアシスタントは
とても感じのいい人だった。  



これ以外にも
たくさんの転職斡旋企業はある。


あくまでも参考情報の1つとして
考えてもらえたら嬉しい。  

ジャニーズに出戻った話②

続きのお話。


そうしてテレビをつけていて
出ていれば
見る程度の認識になっていた
ジャニーズだった。



そんな時、
バンドで知り合った友人たちが
次々とジャニーズに
はまっていった。
どうやらこの現象は
私の周りだけではないらしい。
そろそろ誰か
名称をつけてくれないだろうか。


そんな友人たちを
不思議な目で見ていたが
本当にある日突然落ちた。
ここからがやっと
出戻った話になる。



私の場合は、
パワハラうつ病になり、
会社をクビになって
無職の時だった。
実家に帰ってぼんやりと
THE MUSIC DAY」を
見ていた時に落ちた。
自分だけはこうならないと
思っていた状態になっている
虚無感、悔しさの中だった。



自分の利益だけを
考える人間の中で仕事をしていて、
潰れてしまった私には、
彼らがとても眩しかった。


彼らから溢れる
キラキラとしたオーラ、
アイドルとしての仕事を
全うする姿に癒された。
正常な状態だったら
惹かれなかっただろう、
と今でも思う。

私にとってのアイドルは
KAT-TUNだ。
良くも悪くも
ぎらぎらと対抗心を
むき出しにしている、
それがアイドルだ。



10年ぶりにKATーTUNの
DVDを見たが、懐かしさと共に
好きだった頃の気持ちが
蘇ってきて悲しくもなった。




ちなみに、
当時在籍していた上席陣は、
不正がばれて全員左遷、減給の
どちらかになったと聞いた。




さて、誰に惹かれたのかと
いうところである。


「Hey!Say!JUMPの岡本 圭人くん」
だった。



昔見ていたちびっこJrが、
デビューしていたことは
知っていたし、メンバーも
全員認識しているつもりだったが
大きくなったね、
デビューできてよかったね、
といった
親戚のおばちゃんのような目でしか
見ていなかったグループだ。


そこに岡本健一の息子が
いることは知っていたが、
まさかこんな子に
なっているとは知らなかった。
私の岡本健一のイメージは
カウコンに出てる人、だった。



この子かっこいいと
呟いていると
親に一言、
真顔で言われた。


「頼むからその年で
ジャニーズにはまらないで」


昔の状況を知っているかつ、
バンド沼でも同じ状況な
ことは薄々わかっていたからだろう。


しかし、遠方からわざわざ
DVDやCDを貸してくれた友人がいた。
ジャニーズの懐かしさと
KATーTUNとの差に驚きながらも
久しぶりに文字通り、心を動かされた。




就職先が決まったら、
FCに入ろうと決めた。
自分が完治したのかも
わからなかったが、
前を向いて動こうとする
原動力をくれたのは
間違いなく、
Hey!Say!JUMPだった。


転職会社で現在の会社を紹介され、
転職活動らしいこともしないまま
仕事が決まり、
すぐにFC振込をしにいった。
幸いとてもホワイトな職場で
落ち着いて働いている。



そこからコンサートに
行く機会を得た。
お小遣いの中でやりくりをして
グッズを悩んでいる中高生を横目に、
大人の経済力を使って買った。


初めて大人でよかったと思った。



コンサートを
見て転がり落ちた。
(1番驚いたのは小さかった
やぶひかの身長が
伸びていたことだった)
しかし、私の中でこの子たちが
KAT-TUNを超えることはない、
とも思った。
それでも、私は彼らが好きだ。
KAT-TUNとは別のものだと
いうことは100も承知している。



ドームツアーの
東京ドーム公演は自力で当て、
奇跡的にカウコンも当選した。

昔テレビでカウコンを
見ていた私に言いたい。
10年以上経って、
カウコンに行き
岡本親子共演を見て
悲鳴をあげている、と。


こうして私は再び
ジャニーズを好きになった。

しかし、数は減ったが
まだまだバンドのライブも大好きだ。
しばらくは二足の草鞋を
履いて生きていくのだろう。


好きなことは多いほうが人生は楽しい。

ジャニーズに出戻った話①

出戻ったということからわかるように
はまっていたという過去がある。


記憶の整理も兼ねて
昔の話を先に書きたい。
長くなるので①と②にわけていく。





20代後半の現在から考えると
ジャニーズにはまっていたのは小6〜高1。

最初にかっこいいと思ったのは
山Pこと山下智久
それがどうしてそうなったかは
もう覚えていないが
そこから2ヶ月程度で
KATーTUNのAこと赤西仁にどハマりした。




ごく出だのエターナルだの
いろんな単語が出現しているが、
私がはまったのはあの記録にも
なっている1日11公演をした後である。



ジャニーズJrが出ている番組、
少年倶楽部を毎週ビデオに録った。
その頃はFour Topsもいて
まさにJr黄金期だった。
衣装の枚数が増えていく様子や、
着ていた衣装を更に下のJrが
着ているのを見ると
中学生ながらに感慨深かった。


Jrの中でもタキツバの二人は
本当に別格だった。
事務所のごたごたのせいで
売り出し切れなかったことは
本当に悲しい。
ちなみに夢物語発売に
伴う握手会に
大阪まで行った。
とても美しかった。



初めてのコンサートは、
2002年のタッキー&翼 with all ジャニーズJr@大阪ドーム
スタンドの上の方で
必死に見た記憶がある。
しかし一般発売で普通に買えたことは
今から考えると
信じられないことだろう。



未だにそのツアーだけ
DVD化していないことを
納得していないのだが翌年に
KAT-TUN 2003 Ko年モ Ah Taiヘン ThankU Natsu」
というタイトルの
アリーナツアーに行った。
Jrでアリーナツアーを
行えるグループはいない。

デビュー組でもアリーナが
埋まらないグループがいることを
考えると当時は本当に
すごかった。


横浜アリーナ大阪城ホールに行き、
今のジャニーズではありえないことだが、
横浜駅でチケット余ってます、
と書いたお姉さんがたくさんいた。


チケットを発掘しないと
日程はもうわからないが、
横アリの昼公演に入り
我慢できず、
その後チケットを
余らせていたお姉さんに
1000円かそこらで譲っていただいた。
しかもこっちの方が仁近いからという
とても優しいお姉さんだった。


今の相場理解だの
グッズの長蛇の列だのはなかった時代。

中学生の話なので、
勿論親同伴、
今思えば好きなものには全力で、
という精神はこの頃からだろうし、
全額だしてくれていた親には
大感謝である。



テストで○点以上取ったら
コンに行けるという方法で、
学年上位をキープしていた。

KAT-TUNだけではなく、
当時のYa-Ya-Yah
やっていた舞台にも行ったし、
DREAM BOYS、SHOCKも行った。
地方に住んでいて
行っていたのだから趣味に
理解のある親だった。



2004年の海賊帆ツアーにも行ったのだが、
私の中で全盛期は2003年だった。
その後もごくせんもかかさず見ていたし
デビューシングル、アルバム、DVDも買っているし、
当時のKAT-TUN、NEWS、関ジャニ∞のFC、
You&J」にも入った。
テレビは欠かさず見ていたけれど、
受験生ということもあって落ち着かざるを得なかった。


留学騒動の時もそこまで
ショックではなかったような気がする。
ネット上でもはやネタとされているが、
赤西仁なら仕方がない」といった気持ちだった。
当時からやんちゃなグループだったし、
よく週刊誌に撮られていたし、
今でもそうだが
やりたいことをやってなにが悪い
好きなことは好きだ、
という人間がとても好きなので
それもあるだろう。
 


無事憧れだった高校にも合格し、
ゆるゆると追いかけていたが友人に
ELLEGARDENのCDを貸してもらい、
更にその友人から銀杏BOYZを借り、
初めてライブハウスにエルレを見に行った。
そこからはもうバンド、
今風にいうとバンド沼にすっかりはまり今に至る。
小学生の時にイエモンのプライマル。が
好きだったのでバンドの音楽が
好きな片鱗はあったのだと思う。
KAT-TUNから一人欠けているから、
というのもあったが気づけば
テレビも雑誌も追わなくなっていた。


ここまでが過去にジャニーズにはまっていた話である。
②に続く→
(これを書いている2017年に私は
赤西仁のソロCDを買った。)

a flood of circleにはまった話

a flood of circle
フラッド、afocと略されるバンド。

いまは大好きなバンドだが
このバンドが嫌いだった。
いや、嫌いとまではいかなくとも苦手だった。


そんなバンドにはまった理由を
数年来の付き合いになる音楽クラスタから
聞かれることが多いので
頭の整理も兼ねてブログに落とそうと思う。


大好きなバンドの1つにTheBirthdayがいる。
フラッドを知ったのはいつだったか
記憶にはないが知った時よく似ている、と思った。
グレッチを持ったしゃがれ声のボーカル、
ガレージ、ブルースが根底にあるバンド。
二番煎じ。暑苦しい。
そんな印象しかなかった。


きっかけとなったのが2014年11月30日に
川崎CLUB CITTA'で行われた
新宿ロフト主催のイベント。
出演者の世代はThe Birthday怒髪天やSA、
活休から復活を果たしたradio Caroline
つまりフラッドが一番若手。
出ているから見るか、程度にライブを見ていて
MCで、[上の世代が死なないから俺達が上に行けない]といったニュアンスのことを
佐々木が言っていたのが衝撃だった。
その後のパフォーマンスに惹き込まれて
気付いたら前の方にいた。



その次がちょうど一ヶ月後の2014年12月30日の
渋谷CLUB QUATTROカウントダウンイベント
このイベントも特にフラッドが目的では無い。
友人とそれぞれ違う目当てバンドがおり、
その日にたまたまフラッドも出ていた程度。
それなのに完全に飲み込まれてしまった。


満足感に浸りながらビールを飲んでいると
いきなりドアが開き、さっきまでステージに
立っていた人物が出てきたのである。
フラッドのボーカル、佐々木亮介。
ちらっとこっちを見た後、さっと機材を
背負ってエレベーターに乗っていった。
思わず、友人と階段を駆け下りて
エレベーターより早く着いた記憶がある。
あの時ほど早く走った記憶はない。

建物の外にはドラム、渡邊一丘がファンに
囲まれていた。
当時の私にはドラムの人だ(名前の認識すらなかった)程度の感覚だった。
そして佐々木からサインと写真を撮ってもらった。
アイドルでもないのに顔が小さく、
肌がすべすべだった印象がやたら残っている。  
ミーハーながらここでまた一歩落ちていった。  


その後、初めてフラッドを見にライブにいった。 彼等の企画ライブで六本木EX THEATERに
行ったのだが、譲ってもらったチケットの
整理番号が良く最前で見ることができた。
最前で見ていたこともあってか、
知らない曲(世界は君のもの)でも
とても幸せな気持ちになった。
いまとなってはライブで聴きたい曲の1曲だ。


それから行けるライブには足を運ぶようになった。 佐々木亮介のソロにもいった。
個人的に、弾き語りはバンドのライブほど
演者側も力を入れないイメージがある。

言葉として正しいのかわからないが
「お遊び」な印象のものが多く、
なにがなんでも行きたい!というよりも
時間が合えば、程度だ。
けれども気づけば、なにがなんでも行きたい!と
思えるようになっていた。
佐々木の声はなにかが刺さるものがあると
薄々感じていたのはこの頃かもしれない。
 

そして奇しくも、その期間のギターはデュラン。
在籍期間、2014年9月~2015年3月。  
まさかガラガラの渋谷クアトロで、
SAのゲストとして呼ばれたライブが
デュランがいた最後だった。
正直、入れ替わりが激しいバンドを
他にも知っているから
あまり悲観的な気持ちにはならなかった。


すぐに藤井清也くんがサポートとして加わった。 数か月していなくなってしまったが…。

そしてキョウスケくんが正式サポートになった。   できるなら彼にずっと続けてほしいと思っていた。


そうしてしばらく経つとベストアルバムが
発売された。
そんな時にひとつの転機が訪れた。
ベストアルバムが発売になる頃、
会社で精神を病んで休職していた。
この話は別途書こうと考えているが、
心身ともにボロボロだった。
なにもしたくなかったし
誰とも関わりたくなかったし、
なにより情けなかった。
会社から1ヶ月しか休職できないことを告げられ、なんとか元の状態を取り戻そうと外にも出かけた。
しかしこの時期の記憶がなく、
唯一残っているのがタワレコ渋谷で
行われたイベント。
3日間のうち2日行ったのだが、
うち1日が佐々木亮介の弾き語りだった。 
アルバムにも入っている中島みゆき
ファイトが歌われた。
私はライブで潤んだ程度の経験はあるが、
あんなに涙が止まらなくなったことはない。
気付いたら前が霞み、終わってしばらくしても
涙が止まらなかった。
復職するか退職するかの判断を
迫られている時だった。
医療面からするととてもじゃないが、
戻れる状態ではなかったのだが、
自然に戻ろう、と思った。
あんなに泣いたことに自分が一番驚いた。

本人の歌じゃないのに、というツッコミは
勿論あるだろう。
本人の歌じゃないにも関わらず、あれだけ歌える佐々木の声に泣いたのかもしれない。



そしてTHE BLUEツアーが始まり、
初日の千葉が取れなかったことから
福島、岡山にも足を運んだ。
まさかこうやって遠征してまで見たいと思える
バンドになるとは思っていなかった。


福島と岡山の間にとても大切なバンドが
いきなり解散した。
解散ライブもすることなく事後報告。
とてもとても大切なバンドだった。
ツアーだって東名阪追いかけた。
呆気なさすぎて実感がわかなかった。
解散したバンドのメンバーのライブを
見に行った時に、そのバンドを否定する言葉が
出てきたことが悲しくて以来、
ライブに行けていない。




ツアーファイナル(沖縄でのextraライブを残して)の新木場を迎える直前に会社をクビになった。
突然の宣告だった。
あのまま残っていたところで、
いい方向へ進んでいた気は全くしなかったし
今となっては笑い話だが、
明日から来なくていいと言われ、突然の退職。

その1週間後にあった新木場でのライブ。
整理番号がよくなかったにも関わらず
最前に入れ、心の底から楽しんだ。
なにも気負うことなく楽しめたのは
いつぶりだったろうか。
その翌週の木曜日に下北沢で、
ライブを見るにも関わらず、
気付いたら沖縄行きの飛行機を抑えていた。
自分でもなにをしているのかと思いながら
沖縄に飛んだ。
1週間で4回フラッドのライブに
行った。
2泊3日の沖縄、無職になった人間が
2days泣いて笑って踊った。
沖縄で友人もできた。
行ったことに何一つ後悔していない。
好きだという気持ちが明確になっただけだ。


その後も勿論行けるライブはすべて
足を運んでいる。

佐々木だけでなくなべちゃんもHISAYOさんも
いまのサポートのテツくんも大好きだ。
しかし佐々木の真っ直ぐすぎる声は
文字通り私の人生を変えてくれた。



本当に最初はあの暑苦しいところが
鬱陶しささえ感じるほど苦手だった。
いまでは、それが好きで音源を買い
ライブに行っている。

今年もツアーファイナルの沖縄に行こうと
考えている。
そんなバンドにこの歳になって出会えたことが
嬉しい。