ジャニーズに出戻った話①

出戻ったということからわかるように
はまっていたという過去がある。


記憶の整理も兼ねて
昔の話を先に書きたい。
長くなるので①と②にわけていく。





20代後半の現在から考えると
ジャニーズにはまっていたのは小6〜高1。

最初にかっこいいと思ったのは
山Pこと山下智久
それがどうしてそうなったかは
もう覚えていないが
そこから2ヶ月程度で
KATーTUNのAこと赤西仁にどハマりした。




ごく出だのエターナルだの
いろんな単語が出現しているが、
私がはまったのはあの記録にも
なっている1日11公演をした後である。



ジャニーズJrが出ている番組、
少年倶楽部を毎週ビデオに録った。
その頃はFour Topsもいて
まさにJr黄金期だった。
衣装の枚数が増えていく様子や、
着ていた衣装を更に下のJrが
着ているのを見ると
中学生ながらに感慨深かった。


Jrの中でもタキツバの二人は
本当に別格だった。
事務所のごたごたのせいで
売り出し切れなかったことは
本当に悲しい。
ちなみに夢物語発売に
伴う握手会に
大阪まで行った。
とても美しかった。



初めてのコンサートは、
2002年のタッキー&翼 with all ジャニーズJr@大阪ドーム
スタンドの上の方で
必死に見た記憶がある。
しかし一般発売で普通に買えたことは
今から考えると
信じられないことだろう。



未だにそのツアーだけ
DVD化していないことを
納得していないのだが翌年に
KAT-TUN 2003 Ko年モ Ah Taiヘン ThankU Natsu」
というタイトルの
アリーナツアーに行った。
Jrでアリーナツアーを
行えるグループはいない。

デビュー組でもアリーナが
埋まらないグループがいることを
考えると当時は本当に
すごかった。


横浜アリーナ大阪城ホールに行き、
今のジャニーズではありえないことだが、
横浜駅でチケット余ってます、
と書いたお姉さんがたくさんいた。


チケットを発掘しないと
日程はもうわからないが、
横アリの昼公演に入り
我慢できず、
その後チケットを
余らせていたお姉さんに
1000円かそこらで譲っていただいた。
しかもこっちの方が仁近いからという
とても優しいお姉さんだった。


今の相場理解だの
グッズの長蛇の列だのはなかった時代。

中学生の話なので、
勿論親同伴、
今思えば好きなものには全力で、
という精神はこの頃からだろうし、
全額だしてくれていた親には
大感謝である。



テストで○点以上取ったら
コンに行けるという方法で、
学年上位をキープしていた。

KAT-TUNだけではなく、
当時のYa-Ya-Yah
やっていた舞台にも行ったし、
DREAM BOYS、SHOCKも行った。
地方に住んでいて
行っていたのだから趣味に
理解のある親だった。



2004年の海賊帆ツアーにも行ったのだが、
私の中で全盛期は2003年だった。
その後もごくせんもかかさず見ていたし
デビューシングル、アルバム、DVDも買っているし、
当時のKAT-TUN、NEWS、関ジャニ∞のFC、
You&J」にも入った。
テレビは欠かさず見ていたけれど、
受験生ということもあって落ち着かざるを得なかった。


留学騒動の時もそこまで
ショックではなかったような気がする。
ネット上でもはやネタとされているが、
赤西仁なら仕方がない」といった気持ちだった。
当時からやんちゃなグループだったし、
よく週刊誌に撮られていたし、
今でもそうだが
やりたいことをやってなにが悪い
好きなことは好きだ、
という人間がとても好きなので
それもあるだろう。
 


無事憧れだった高校にも合格し、
ゆるゆると追いかけていたが友人に
ELLEGARDENのCDを貸してもらい、
更にその友人から銀杏BOYZを借り、
初めてライブハウスにエルレを見に行った。
そこからはもうバンド、
今風にいうとバンド沼にすっかりはまり今に至る。
小学生の時にイエモンのプライマル。が
好きだったのでバンドの音楽が
好きな片鱗はあったのだと思う。
KAT-TUNから一人欠けているから、
というのもあったが気づけば
テレビも雑誌も追わなくなっていた。


ここまでが過去にジャニーズにはまっていた話である。
②に続く→
(これを書いている2017年に私は
赤西仁のソロCDを買った。)